
今日は、仕事帰りに
「国宝 阿修羅展」に行ってきました。
最終日、閉館1時間前ということもあり
駐車場も待つことなくスムーズに入れて、一安心。
さて、さて、噂では
とにかくスゴイらしいと聞いていましたが
何がスゴイのか
ドキドキしながら展示場に入ると…
いきなり!
「まじうける!阿修羅おるし!ぎゃはははは〜」
と、大声で笑うギャルが走っているではありませんか。
彼女は、阿修羅像を
「EXILEのメンバー」とでも勘違いしているのではなかろうかというくらい
場違いに、はしゃいでおりました。
そんな風なことを思いながら、あたりを見回すと…
ミニスカートのお姉ちゃんにスキンヘッドのお兄ちゃん…
阿修羅を見ながら、それはそれは楽しそうに指差して笑っております。
人それぞれ見方はあるだろうけど、
この人たちは「スゴイらしい」という噂だけで来たんだろうな…と、
白い目で見てしまいました。
まぁ、私も「スゴイらしい」で来た一人でしたが(笑)
何はともあれ、阿修羅像。
ただ、そのものを見るだけでは、初めは、あまり作品の素晴らしさが分からなかったのですが
壁にある解説の漫画などをみるうちに、
なぜ阿修羅がこのような表情をしているのかが分かり
色々な感情が湧き出てきました。
要は…(私の解釈)
手には武器、顔は恐ろしい形相で戦いに明け暮れていた阿修羅。
その阿修羅があるとき「ある鐘の音」を聴き
『戦うことが、なんと愚かなことか』気づき
お釈迦さまに出逢った阿修羅。
そんな彼に、お釈迦さまは
「それに気づいたならば
『懺悔』をしなさい。
そうすれば、今までのことは報われるだろう。」と話したという…
そしてそれを聞いた阿修羅は
手にもっていた武器を捨て
鬼の形相だった顔も
眉をひそめ、下唇を噛んだ
『懺悔』の表情をして神となった。
…ということ。(私の解釈)
この像を見て感じたのは
人には誰でも過ちはあり
それをお釈迦さまは責めたりしない。
だけど、自分が過ちを起こしたと思ったなら
自分に神に素直になり
『懺悔』をする、という心を
常に持っておかなければならない。
と、いうこと。
つまり、自分の過ちを認められるかが重要。
仕事の失敗も、友達との口喧嘩も、国と国との過去の戦争も。
何もかも『懺悔』ができさえすれば
この世に「悪」は生まれないのでは…
と思った。
それからもうひとつ。
前々から、話しには聞いていましたが
やはり仏像はもともと「木」に住んでいるらしい。
そして現存の大仏などは
彫り師が
「木を掃って仏さまを外に出してあげている」
だけなんだそう。
これはある本を見てのお話ですが…
作品は仏像にしろ、映像にしろ何でもそうだな〜っと思うのですが
「生まれでる予定のものは
既に、そこに埋まっていて
職人は、それを『作る』のではなく
『掃って外に出してあげる』作業をするのだと思った。
つまり、「生まれでる作品を信じる」ということ。
『外にでてきていいよ〜』ってね。
そう思って制作すると
また、作品が「愛おしく」なるのかもしれないな〜と。
そして、ずっとずっと
「人の心に棲む作品になる」のかもしれないな〜
と…そんなことを感じたのでした!以上!